事実の力 実在する力 

心の苦しみから抜け出してわたしを生きる    Taro

1章 心の苦しみから抜け出す3

3存在としてのわたし 

 

わたしの存在はわたしの手には負えない

存在としての単なる自己意識を持ったあなたとは何でしょう?わたしはわたしの心や体、意識の仕組みを理解していません。わたしは今どうやって生きているのか、今までどうやって生きて来たのか、それらを説明することができません。わたしは自分を構成する細胞がいくつあるのか、その37億とも60億とも言われる細胞の数、そのような基本的なことさえも分かっていないのです。その細胞にあると言われる遺伝子情報。わたしに入ってはわたしと共生し、わたしを作り、わたしから出て行く100兆を越える微生物。それらがどういうもので、わたしの中で何をしているのか、心とは何か、心が体のどこにあるのか、意識とは何か、脳が意識を生み出しているとすれば、わたしが生きているこの意識の世界を脳のどの部分が生み出しているのか、それは脳を開いていくら調べてみても分かるものではありません。今どのくらいの血液を体のどこに送っているのか、そもそも血液をどうやって作っているのか、骨や筋肉や皮膚、心臓や肺、肝臓や胃や腸、臓器の仕組みや今何が行われているのか、わたしはそれらを全くと言っていいくらい把握できていません。

わたしはなぜ生きているのか、生命力とは何か、それはどれほど偉大な学者や医者であっても答えに窮するはずです。人体に対する研究の新発見は現在でもなされています。つまりわたしの存在そのものは、わたしの持っている知識や常識、わたしの理解、わたしの思考をすでに越えているということです。

わたしは生きようとして生きている訳ではありません。わたしはこうしている間も無意識のうちに呼吸しています。わたしの心臓は無意識のうちに鼓動しています。わたしはわたしの意図と自覚を越えて生きています。わたしはなぜか生きているのです。生きているところに「わたし」という自己意識があります。

 

わたしはわたしの思いを越えて生きている

わたしはわたしの思いとは別に、わたしの思いを越えて生きています。他人事のように聞こえるかもしれません。わたしは無知で無責任かもしれません。それでもわたしはわたしの理解、わたしの意図、わたしの自覚を越えて生きています。それが事実です。

わたしは怒りがあろうとなかろうと、悲しみがあろうとなかろうと、不安や恐れ、後悔があろうとなかろうと生きているわたしです。わたしはわたしに起きる負の感情とは無関係に生きています。

存在としての単なる自己意識を持ったわたしはわたしの理解、わたしの意図、わたしの自覚、わたしに起きる負の感情を越えて生きている、存在しているわたしです。