事実の力 実在する力 

心の苦しみから抜け出してわたしを生きる    Taro

1章 心の苦しみから抜け出す6

6正当性の中に紛れるワタシ

                            

負の感情にももっともなものがある

悲しみには大切なものや人を失ったことによる喪失感から来るものもあります。特に愛する人との生き別れや死別は辛いものです。その悲しみを時間が解決してくれるのかもしれません。他の何かが喪失感を埋めてくれるのかもしれません。それでもそれは一時的なものかもしれません。失った人を思い出してはまた悲しみに暮れてしまいます。喪失感から来る悲しみはもっともな感情です。その悲しみは失ったその人がくれた愛情や思い出の大きさを表しているものかもしれません。失った人にとっては失ったものが人生そのものだったのかもしれません。失った人にとってはこれから自分がどうして行けばいいのかも分からない、絶望の淵に立たされたような、人生そのものが断たれたような気持ちになります。終わったことだからと気持ちを切り替えられるものではありません。それでも悲しみに暮れているとなかなか起き上がることはできません。気力を失って行きます。

恐れにももっともな恐れがあります。「大切な人の身に何か良からぬことが起きないだろうか?」と心配するのは当然のことです。体の調子が悪い時や深刻な事態に起きる恐れは自分のことであれ、他人のことであれ、自然な感情です。恐れは生命の危険に対するアラームのようなものです。わたしたちに備わった防衛本能です。

怒りの中にももっともな怒りがあります。理不尽なことをされて自尊心を傷つけられたり、理不尽な出来事を見聞きしたりして、怒りが湧かないのは寧ろ不自然です。病気や事故で体が思い通りにならない時や自分の力ではどうしようもない状況下で感じるもどかしさや苛立ち、憤りはもっともな感情かもしれません。

負の感情にもっともな理由がある場合、わたしの中でその感情は問題視されません。悲しむのが当然です。恐れるのが当然です。怒るのが当然です。それでも悲しみや恐れ、怒りの感情に耽ることは結果的に自我を喜ばせることになります。自我はその感情の正当性に紛れます。わたしは無抵抗のまま負の感情に繋ぎ止められてしまいます。

 

けしかける 強力にはびこる

自我はわたしを不幸にします。不幸にはなりたい人はいません。わたしを不幸にしようとする者が現れると敏感に察知します。そこをかい潜って自我は上手くやります。もっともなことを持ち出して来て、わたしに見せます。わたしの正義感や自尊心につけ込んで、わたしをけしかけます。

例えばわたしから搾取する雇用主や甘い汁を吸っている人たち。理不尽な要求をしてくる知人や仕事上の取引先、顧客、同僚、政治腐敗をわたしに見せます。テレビや新聞、インターネットのニュースを通して実際に見せることもあれば、頭の中を流れる思考として見せることもあります。「こんなに理不尽なことが起きている。こんなことが許されるのか?」「あいつはいつもわたしに仕事を押しつけておいて、わたしから奪っている。これが怒らずにいられるか?怒って当然だ」「さあ、怒りなさい!ぼやきなさい!嘆きなさい!」。

わたしは気づかないうちに怒りに導かれます。わたしは口に出さなくても頭の中でこの話題を何度も繰り返しています。わたしは怒りの状態に繋ぎ止められていることに気づきません。理不尽に対する気持ちの抵抗感は凄いものがあります。不正や理不尽な出来事、人間関係はわたしの中で強力にはびこります。なぜならわたしの良心がそれを許せないからです。わたしは気づかないうちに不幸になって行きます。

 

増長するワタシ

わたしは自分の正義感や自尊心の裏側で自分を苦しめていることに気づきません。いくらわたしの怒りに正当な理由があったとしても、わたしがそこでしていることは自分の心を暗くすることです。怒りは体にも悪影響を及ぼすことは知られています。体が悪くなれば人生も暗くなります。わたしがそこでしていることはわたしを不幸にすることです。わたしだけではありません。わたしの怒りは周りの人たちの心を暗くし、体を弱らせ、人生を暗くします。

自我は増長しています。自分の力が分かっていません。自分が主人だと思い込んでいます。自分が大きくなって思いのままにしようとします。主導権が自分にあるものだと思い込んでいます。まさか自分の存在そのものが“間違い”だとは思いもしません。宿主を破壊する寄生虫や悪性細胞が存在します。彼らは自分たちの肥大化が自滅に繋がることを知りません。宿主なくして自分たちが存在できないことを知りません。自我は寄生虫や悪性細胞と同じようなものです。自我がわたしを苦しめています。自我がわたしを壊しています。自我がわたしを弱体化させています。自我がわたしを不幸にしています。それでも自我と同化したわたしはそのことに気づけません。