事実の力 実在する力 

心の苦しみから抜け出してわたしを生きる    Taro

1章 心の苦しみから抜け出す7

7心の苦しみを減らすために

 

事実か、実在することかを見極める

心の苦しみを減らすにはどうすればいいのでしょう?それはあなたが苦しんでいる時に、あなたが見ていることは事実なのかどうか、実在することなのかどうか、それを冷静に見極める必要があります。なぜなら自我と同化したわたしたちは事実ではないことを事実のように、実在しないことを実在するように見て、苦しむ傾向にあるからです。例えば思い込みから来る、憎しみや恨みなどの怒り。比較から来る、嫉妬や劣等感、自分に対する無価値感。今起きていないことに対する後悔。これから起きるかどうかも分からないことに対する不安や恐れや焦りです。

 

負の感情にしがみつかない

事実かどうか、実在することかどうか、それを見極めるのが難しい場合は、あなたに負の感情が現れた時に、たやすくその感情に飛びつかないようにしてはどうでしょう?一時的に飛びついても、しがみつかないようにする必要があります。自我は簡単にはあなたを逃しません。事実ではないこと、実在しないことを次から次にあなたに見せます。あなたの頭の中に止めどなく現れる思考がそれです。実際に起きたこと以上にあなたの中で話は展開します。「そう言えばあの人はあの時もそうだった」「そもそもあの人はいつもああだ」「今度こういうことがあればああ言ってやろう」。「わたしはあの時もダメだった」「わたしはいつもダメだ」「わたしは何をやってもダメだ。わたしはダメな人間だ」「もうどうでもいい」。自我は事実を飛躍させます。そこには多くの嘘を含みます。それはもはや事実ではありません。自我はそうやってあなたを負の感情に繋ぎ止めようとします。

 

わたしとワタシを切り離す

わたしは歳を重ねるにつれて失うものが増えます。別れる人が増えます。健康な体や体力、気力も減少傾向になります。若い頃に比べて夢や希望を持ちにくくなります。将来への漠然とした不安や恐れ、悲しみがより身近に感じられるようになります。歳を重ねるにつれて苦しみが増える傾向にあります。自我がもたらす負の感情になすがままにしているとわたしはますます弱くなってしまいます。そうならないためには自我の好きなようにはさせないことです。自我がわたしに苦しみをもたらします。わたしがその苦しみを引き受けます。そこにわたしと自我との“微かな接点”があります。その段階で「わたしに苦しみが現れている」と気づく必要があります。

心の苦しみの過程や原因、形は様々です。怒り、悲しみ、不安、恐れ、後悔、焦り、無価値感、惨めな気持ち、嫉妬、喪失感、気の重さ、怠惰な気持ち…。苦しみとまでは呼べないものから強烈なものまで様々です。苦しみとまでは呼べないものでもわたしをリラックスさせたり、心地よい気分にさせたりするものではありません。わたしの心を暗くさせたり、わたしを堕落させたりします。それらはわたしを不幸にするものです。

あなたに負の感情が現れた時に、あなたと負の感情を意識的に切り離してはどうでしょう?存在としてのあなたと心の苦しみを切り離します。あなたと自我を切り離すということです。

 

ゆらめきと流れ

感情は炎のゆらめきと似ています。わたしは機嫌がよかったかと思えば、イライラしています。穏やかな気持ちでいたかと思えば、そわそわしています。喜怒哀楽、感情が定まることなく変化します。わたしが囚われやすい空想は脈絡のない思考の流れです。ゆらめきと流れをコントロールすることはなかなかできません。自我が薄くなったとしても、苦しみが完全に解消される訳ではありません。「乱れ始めた感情を整える」「脈絡のない思考の流れに捕らわれてはそこから離れる」。それらの繰り返しは続きます。

 

見ているわたし

「わたしは今、苛立っている」「わたしは今、心を暗くしている」「わたしはまた価値のない空想に耽っている」。そう思うことができるわたしがいます。そのわたしは自我に囚われているわたしを離れた所から見ています。それは騒ぎ立てる子どもを見つめる大人の目線と似ています。騒ぎ立てる子どもは大人と目が合うだけで大人しくなります。それと同じです。自我と同調したあなたをしばらく眺めていれば、あなたから負の感情や脈絡のない思考の流れが消えて行くのを感じられるはずです。

「またわたしを苦しめようとして現れたか」「わたしを苦しめてどうするつもりだ?」「わたしなしに君は存在することさえできないのに」。心の中でそう呟いてもいいかもしれません。

自我がもたらす負の感情や、脈絡のない思考の流れに囚われているわたしを見ているわたしがいます。そのわたしが自我と同化したわたしを見ている存在としてのわたしです。

存在としてのわたしはわたしの理解、意図、自覚を越えて生きています。存在としてのわたしはわたしに怒りがあろうとなかろうと、わたしに悲しみがあろうとなかろうと、わたしに恐れがあろうとなかろうと、わたしに後悔があろうとなかろうと生きているわたしです。

その存在としてのあなたを自覚することができるでしょうか?あなたは誰でしょう?あなたは怒りでしょうか?悲しみでしょうか?恐れでしょうか?後悔でしょうか?あなたにはあなたの負の感情、あなたの理解、意図、自覚を越えて生きているあなた、存在しているあなたがいるはずです。あなたがそのあなたを自覚することができれば、一時的に負の感情や脈絡のない思考の流れに捕らわれても、耽ることは減るはずです。あなたはあなたでありながら、あなたの中にある自我と適度に距離を取るようになるはずです。

 

自覚そのものがわたしを苦しみから解放する

あなたと心の苦しみを切り離す習慣が身につくと、自我があなたに近づいて来た時に気がつくようになります。あなたはもはや自我と同化しなくなります。仮に負の感情に捕らわれても、「わたしは今、負の感情に捕らわれている」と気づきます。価値のない空想に耽っていても、「わたしはまた堕落させられている」と気づきます。気がつくだけで自我は消えて行きます。「負の感情に捕らわれては気づく」を繰り返しているうちに、あなたの中で自我が小さくなって行くのを感じられるようになるかもしれません。

仮に自我が強かったとしても悲観することはありません。問題解決のために敢えて何かする必要もありません。あなたの中に特有の性質を持った自我があること、そのことを知ること、自覚することで問題は問題でなくなって行きます。自我との関わり方を知っていれば、必要以上に苦しむことはなくなるはずです。