事実の力 実在する力 

心の苦しみから抜け出してわたしを生きる    Taro

2章 自由な心を取り戻す3

3個人の問題としてのワタシ

 

形を変える自我 自我のなすがままにしない

自我には主に4つの性質があります。1つ目は自我の基本的な性質である、わたしを苦しめるということです。この性質を持った自我は否定的傾向、消極的傾向、悲観的傾向そのものと言えます。2つ目は「自分でできて、自分でしている。自分でしたい」「思い通りにできて、思い通りにしている。思い通りにしたい」と思っていることです。この性質を持った自我は自分に固執し、自分を優先する傾向があります。自分勝手で自分の考えややり方に執着します。考えややり方を含めた広い意味での自分の持ち物と、自分の存在を重ね合わせます。他者との関係性で優位に立とうとします。そのことで喜びを感じ、満足感を覚えます。3つ目は「わたしに事実を見せない。わたしに実在するものを見せない」ということです。4つ目は意識の上で切り離せないものからわたしを切り離すということです。

あなたは自我と同調するほど、自我と同化して行きます。あなたは自我と距離を取るほど、自我と同調しなくなります。自我と同調しないためには自我のなすがままにしないことです。「自我のなすがままにしない」というのは、自我特有の4つの性質を含む事柄や事柄に伴う負の感情に同調しないということです。

自我は形を変えて日常の至る所に姿を現わします。影を潜めてあなたに近づき、あなたが気づかないうちにあなたと同化します。ここでいくつかの例を挙げます。1章で述べたことと重複しますが、これらは誰にでも当てはまる事柄です。「自我に囚われる者」という意味でわたしたちはみなエゴイストなのかもしれません。あなたにも心当たりがあるようでしたら、自我と距離を取るように心掛けて下さい。そうすれば必要以上に心の苦しみを抱えずに済みます。思い込みや固定観念から自由になれます。創造的にあなたらしく生きるきっかけになります。

社会や政治への関心は大切なことです。それでも政治の腐敗、官僚の汚職、企業の不正、スポーツマンや芸能人のスキャンダルに囚われて、ぼやきや嘆きが止まらないあなたがいるとすれば、それはあなたが自我と同化している現れかもしれません。あなたはテレビを見ては、「世も末だ」と嘆き、政治家や官僚、財界人、スポーツマン、芸能人、マスコミの批判をしながら、テレビからも抱いている負の感情からも離れられないでいます。

一見もっともらしいことを言いながら、具体的なあなたの人生を主体的に生きるよりも、他者の批判や抽象論や一般論を繰り返しているあなたがいないでしょうか?

周りの人たちや話し相手が不快を感じていることにも気づかずに、否定的発言や不平不満、愚痴を繰り返しているあなたがいないでしょうか?

他人や社会に対して冷笑的な態度に出てしまうあなた、誰かを見下して鼻で笑うあなたがいないでしょうか?

孤独感に囚われ続けるあなたがいないでしょうか?その感情は確かに存在します。それでもその感情は確かなものでしょうか?現状は孤独でいることは不可能です。事実に基づかないという意味でその感情は当てになる感情ではありません。孤独感という得体の知れない、事実に基づかない幻影にいつまでも囚われ続けるあなたがいないでしょうか?

すぐに大きな声を上げて怒鳴り散らすあなた、物や誰かに当たり散らすあなた、怒りの感情に引きつけられやすいあなたがいないでしょうか?

「心配だ、大変だ、もうダメだ、敵わない、気をつけないと」。恐れや弱音が口をついて出て来るあなたがいないでしょうか?

今、起きてもいない、これから起きるかどうかも分からないことに囚われて心を暗くしたり、行動的になれずに思い悩んだりしているあなたがいないでしょうか?

今、起きていないことを思考としてあなたに見せて、あなたを惨めにさせるあなたがいないでしょうか?例えば、分かれた恋人やパートナー、失った若さや健康、過去の失敗や恥をかいた経験です。

せっかちなあなたや止めどなく現れる思考の流れ、空想に囚われやすいあなた。つまりあなたの実在している、今ここに集中できないあなたがいないでしょうか?

わたしたちは途切れることのない繋がりの中に生きています。わたしたちはわたしたちの意図した繋がりだけで生きている訳ではありません。わたしたちの理解、意図、自覚、わたしたちの思考さえも超えた繋がりで生きています。繋がりはわたしたちの勝手な意図で、繋がりのうちのある部分だけを独立させたり、分離させたりできるようなものではありません。繋がりからある部分を分離させて、ある部分だけを存在させること不可能です。ある部分は全体との繋がりの中で初めて存在できます。それでも自我は切り離せないものからわたしたちを切り離します。実際に切り離すことはできません。意識の上で切り離します。自我と同化したわたしたちはわたしたちの勝手な意図から、実在できない系統を作り出します。その系統を使って他者を差別します。例えばそれは血の繋がりであり、肌の色であり、民族です。実在しない系統を見て、差別したり、差別されたりしているあなたがいないでしょうか?

他人を否定することで相手を下げて、自分を上げます。そこから消極的な満足感を覚えているあなた、自己承認しているあなたがいないでしょうか?

優秀であることに拘るあなた、比較の中に生きるあなたがいないでしょうか?

実在しない「みんな」を頭の中で見て、それと比べて劣等感を抱いたり、焦ったりしているあなたがいないでしょうか?

気の重さや怠惰な気持ち、つまり実際に起きたこととは異なる、当てにはならない負の感情や思考に囚われて、あなたにとって大切なことを後回しにしているあなたがいないでしょうか?

この世界には絶対的な価値や意味は実在しません。それでも何でもいい訳ではありません。わたしたちには良心があります。何が良いか、悪いか、わたしたちはそれを知っています。それでも良心にあること、良心からもたらされることは「べきこと」でも、「ねばならないこと」でもありません。義務や絶対的な価値でもありません。それにもかかわらず、高尚な生き方や低俗な生き方があると思い込んでいるあなたがいないでしょうか?

人生の歩むべき道やレールは実在しないにもかかわらず、それがあると思い込んでいるあなたがいないでしょうか?実在しないそれらの価値を他者に押しつけているあなたがいないでしょうか?実在しないそれらの価値を心に引き受けて、「わたしはレールから外れてしまった。もう人生は終わりだ」と思っているあなたがいないでしょうか?

社会を生きるわたしたちに必要な「べきこと」「ねばねらないこと」は法律をはじめとする社会のルールです。それは特定の振る舞いに関することです。それにもかかわらず、引き受ける必要のない「べき」「ねばならない」を無自覚のうちに引き受けているあなたがいないでしょうか?

「べきこと」「ねばならないこと」は実はあまり多くはありません。それにもかかわらず口をついて、「べき」「ねばならない」が出て来るあなたがいないでしょうか?なぜそうすべきなのか、なぜそうしなければならないのか、その理由を明らかにすることもなく(明らかにされることもなく)、「べき」「ねばならない」と相手に求めたり、受け入れたりしているあなたがいないでしょうか?自我は実在しない物事を実在するように見せて、あなたを苦しめます。真面目な人ほど、「べき」「ねばならない」に囚われて苦しむものかもしれません。

「親としてこうあるべき、こうあらねばならない」。その思考が強迫観念のようにまでなっているあなたがいないでしょうか?「教わった通りにならなければいけない。本に書いているようにならなければいけない。誰それさんが言ったようにならなければいけない」「思ったようにならなければいけない」。その観念が観念を持っている当人を精神的に追い詰めてしまうことがあります。それだけではありません。その当人の周りにいる人たちをも破滅に追いやってしまうことがあります。特にまだ生きる力の弱い幼い子どもたちが犠牲になることがあります。

いつまでも怒りの感情に囚われ続けるあなたがいないでしょうか?例えば夫や妻や恋人、友人や職場の同僚に対して苛立っているあなたがいるとします。そこには一見正当な理由があります。それでも苛立ちという負の感情に囚われ続けているあなたがいるとすれば、それは自我があなたに近づいて、負の感情をもたらしているということです。なぜあなたが苛立っているのか、客観的に自分を見て下さい。そこに相手が自分の思い通りにならずに苛立っているあなたが、少なからずいるのではないでしょうか?あなたには怒りたくないと思うあなたがいる一方で、いつまでも怒りに引きつけられるあなたもいます。あなたはその相手に囚われます。口には出さなくても、そこに相手がいなくても、あなたは頭の中でその相手に囚われて怒りの感情を抱いています。

自覚して頂きたいことは、負の感情とその感情が起きるような思考(それは事実に基づかないものであったり、実在しないもの、例えば思い込みや空想、観念として存在するものであったりする)に囚われているあなたはあなたであり、あなたではないということです。あなたは自我のもたらす負の感情と思考に同調し、自我と同化しています。それでもあなたには、その負の感情と思考に同調しているあなたを自覚しているあなたもいるはずです。そのあなたが自我ではない(存在としての)あなたです。

あなたが自我と同調しないためには、その負の感情と思考が起きるまま、流されるままにしないことです。特別何かをする必要はありません。することはその負の感情と思考が自分に起きていることに気づいて、そこから意識的に離れることです。

 

自我から行動しない

テレビや新聞で目にする、政治の腐敗や官僚の汚職、企業の不正、痛ましい事件や事故、日常で遭遇する理不尽な出来事、つまり負の感情が起きて当然だと思われるような情報や出来事にはどう対応すればいいのでしょう?それには負の感情とあなたを切り離して、その情報や出来事からも負の感情を切り離して、事実として接する必要があります。負の感情を除いた情報として、負の感情を除いた出来事として、事実として接すれば、自我を増長させることはありません。

相手の至らない所を指摘したり、指導したりする場面でも、自我がもたらす負の感情をあなたから切り離して、それをする必要があります。あなたが負の感情に囚われることは、あなたがあなたの自我と同調するだけではありません。あなたが怒りの感情からそれをすれば、相手の怒りを誘うことになります。自我からの行動は相手の自我を刺激して、同調させます。