事実の力 実在する力 

心の苦しみから抜け出してわたしを生きる    Taro

2章 自由な心を取り戻す5

5事実が発揮される世界へ 

                                 

万物の根源

古代から万物の根源、世界の起源について議論されて来ました。水、空気、原子、火、土、数、分けられないもの、限りのないもの、諸説あります。「愛であり、光である」と言う人もいるかもしれません。

わたしは創造の力、進化そのものだと確信しています。なぜなら人類の歴史、生物の歴史、地球の歴史、宇宙の歴史、歴史そのものがそれを証明しているからです。ヒトが生きるものを創り上げることは未だにできていません。単純な細胞でさえ創り出すことは奇跡だと言います。その細胞がただ生まれただけではありません。命を存続させ、成長し、その数を増やして行きます。その細胞は永い年月をかけて肉体を持ち、心を持ち、言葉を持つまでに進化しました。世界は地球さえもなかったところから今ある文明までも築き上げてしまったのです。

わたしにはある出来事が矛盾と破壊に見えます。それでもそれはわたしの判断、解釈、わたしの考えに過ぎません。この世界は諸行無常です。すべてが一瞬の停止も静止もなく、変化の中にあります。その変化は全体として見れば、進化の中にあります。

「宇宙の拡大速度は落ちる」。科学者たちの予測を裏切り、宇宙の拡大速度は上昇しています。この瞬間も世界は拡がります、新種の生物、新しい命が生まれています。わたしたちの手から瞬間、瞬間新しいものが生まれています。

地球を誕生させ、太陽を存在させ、宇宙を拡げ、新たな命を生み出し、それらを生かし、成長させ、進化に向かわせているもの。わたしたちを生み出し、生かし、成長させ、違いを与えて唯一無二の存在にしているもの。わたしたちの背後にあるもの、わたしたちの目には映らない命がわたしたちを使って、新たなものをこの世界にもたらします。自我と自由意志を持ったわたしたちにはその自覚がないだけです。

この世界は無限に湧き上がる創造の力そのもの、進化そのもの、命そのものです。

 

今が目覚めの時

心の中に引き受ける「べきこと」「ねばならないこと」は実在しません。その事実を再認識する時に来ています。その事実を頭で理解するのではなく、自覚することができた時にわたしたちは自由な心を取り戻します。そしてわたしたちはようやく唯一無二のわたしたちを生きられるようになります。その先にあるものは何でしょう?それは事実が遺憾なく発揮される世界です。

わたしたちは唯一無二の存在です。多様であるという事実が阻害されることなく、そのまま発揮されます。この世界は創造の力そのもの、進化そのものです。わたしたちも成長そのものです。その事実が阻害されることなく、そのまま発揮されます。

他人や社会の求める理想像、価値観、「あるべき姿」と言われるもの。普通、平均、一般、標準、時代の流行り廃り、自分ではない外側を軸にしたあり方は多くの抵抗と摩擦を生みます。唯一無二の存在が生かされることはありません。型に入らないものを既存の型に無理矢理押し込めるようなあり方です。「そこにいるはずの人がそこにいません。それをするはずの人がそれをしません。そこにいなくてもいい人がそこにいます。それをしなくてもいい人がそれをします」。そういう状況を生み出してしまいます。その状況下で創造性は飛躍しません。

「監視の目がなければできない。不正を働く。手抜きをする」。それは単に倫理観の欠如とは思えません。その人がする仕事ではないからです。その人は自分のことを知っているとは思えません。その人がする仕事であれば監視の目は必要ありません。放っておかれても没頭してやります。納得が行くまでどこまでもやります。

事実が遺憾なく発揮される世界では自分を知った者たちが自分を生かします。自分の仕事をします。唯一無二の存在者たちが唯一無二でありながら成長します。それは抵抗と摩擦を生まない自然な姿です。最も創造的な姿です。多様で高度に発達したものがわたしたちの手からもたらされます。世界は多様でありながら、創造性が飛躍します。世界の進化速度は過去にないほど上昇します。今、人類が自我からの目覚めの時に来ているのは恐らくそのためです。「創造性を飛躍させる。進化速度を上げる」。そのためには自我を克服する必要があります。人類の進化、ひいては世界の進化を阻むもの、それが自我に他ならないからです。

 

3章を始める前に

わたしがこれから話すことを受け入れるには、少しの勇気が必要かもしれません。わたしたちは唯一無二の存在者です。多様であるという事実を受け入れるには少しの勇気が必要です。なぜなら他とは違うたった一人の自分を受け入れることだからです。はじめは孤独を感じるかもしれません。それでもそれは孤独感です。孤独でいることは不可能です。

わたしがこれから話すことは常識を越えています。圧倒的大多数が何と言おうと自分がどう感じたのか、自分に起きた感情や自分の体験を信じる少しの勇気が必要です。それでも一度体験してしまえば、それが常識を越えていようと科学を越えていようと自分にとっての事実になります。事実は強力なものです。はじめは受け入れ難いものであっても、受け入れるより他ないからです。事実にはわたしを納得させるだけの力があります。

わたしがこれから話すことはわたしの主義や主張ではありません。独創的な話でもありません。大昔からあった古い話です。主義や主張というよりはそこにある事実の話です。わたしが「太陽がそこにあります」と言った時に、あなたは「そういう考え方もあるね」とは言わないはずです。「それはそうだ」と言うはずです。わたしがする話はそういう話です。わたしがこれから話すことは常識を越えています。それでもこれは事実の話であり、自然の話です。自我の強かったわたしには知ることのできなかった、自然が持っている別の側面についての話です。