事実の力 実在する力 

心の苦しみから抜け出してわたしを生きる    Taro

3章 唯一無二のわたしを生きる1

1ありのままの心

                                

思考よりも自然傾向 思考よりも実在するもの

わたしたちに必要なことは自分の考えややり方、自分でコントロールしようとする意図、つまりまだ現実には現れていない頭の中の思考に頼るのをやめて、現実に現れているもの、実在しているものを頼りにすることかもしれません。

実在しているものには、例えばわたしたちに元々備わっている自然傾向があります。わたしたち一人一人が自然傾向に沿えば、唯一無二のわたしたちを生きることになります。

実在しているものには他に、この世界の自然傾向とこの世界の仕組みがあります。わたしたちがこの世界の自然傾向と仕組みに沿えば、わたしたちと世界の飛躍に繋がります。自然は過不足のない完璧な秩序です。最も合理的なシステムです。世界の仕組みを跳ね除けて、自分たちのやり方で思い通りにやろうとしても物事の質は上がりません。

それでも自我を持ったわたしは自分の考えとやり方に固執します。例えば当初の予定が途中で変更されることを嫌います。段取りが変わることは悪いことだと思い込んでいます。それは予定や段取りが変わって現れた現実よりも、自分の思考を頼りにしている現れかもしれません。わたしたちに必要なことは自分の思考よりも現れた現実を重視することです。現実は本来わたしたちの思考よりも説得力があります。なぜなら現実はすでに結果として現れているもの、実在しているものだからです。わたしたちに必要なことは思い通りに行くかどうかよりも、思い通りではなくても結果として現れた現実、実在するものを、「これでいい」と信頼し、受け入れることです。言い換えればそれは自分に執着するのをやめて、現実、実在するものを信頼して、任せるということです。

実在するもの(実在して来たもの)には、例えば過去から未来へ流れるわたしたちの人生の流れと、進化して来た世界の歩みがあります。わたしたちは人生の流れの中に、世界の歩みの中に生きています。人生の流れと世界がわたしたちを存在させます。わたしたちの思考がわたしたちを存在させているのではありません。実在するもの(実在して来たもの)はわたしたちの思考よりも頼りになるものです。

わたしたちは世界から離れて存在することは不可能です。わたしたちにできることは、わたしたちを生み出し、生かし、成長させ、他でもない唯一無二のわたしたちにしている、世界の自然傾向と仕組みに沿うことです。自我さえなければ自然を受け入れることは本来とてもシンプルなことです。なぜならわたしたちはすでに自然そのものだからです。抵抗しているのはわたしたちの自我です。

                                                                

唯一無二のわたしを生きる

「べき」「ねばならない」から解放された時にわたしたちは自由な心を取り戻します。自由な心を取り戻した時にようやく唯一無二のわたしたちを生きることができます。わたしたちは唯一無二のわたしたちでありながら成長することができます。それはとても創造的な生き方です。それでも今まで外側を重視して生きて来たわたしたちです。例えば他人や社会が求める理想像、価値観、「あるべき姿」と言われるもの、普通、平均、一般、標準、時代の流行り廃りです。いきなり「唯一無二の自分を生きろ」と言われても何をすればいいのか分かりません。わたしたちは何をすればいいのでしょう?それを知るにはどうすればいいのでしょう?そもそも「唯一無二の自分を生きる」とはどういうことでしょう?

それはありのままの自分を生きるということです。「ありのままの自分を生きる」とはどういうことでしょう?それはわたしたちに備わった自然傾向に沿って生きるということです。ありのままの自分をどうやって知るのでしょう?それはわたしたちの心が教えてくれます。

 

心が中心

何をするかは問題ではありません。ありのままの心で生きることが重大です。何をするかに意識が向いていたわたしたちは自分の心に意識が向くようになります。わたしたちは自分の心の状態をモニタリングするようになります。ありのままの心を追求しているうちにやることは変わるかもしれません。それは自然なことです。この世界は諸行無常です。変わらないものは何もありません。それが自然の姿です。唯一無二の自分を生きるというのは事実に沿った自然な生き方です。ありのままの心にありのままの自分がいます。ありのままの心をどうやって知るのでしょう?それもまたわたしたちの心が、感情が教えてくれます。

 

重大なこと

わたしたち現代人の多くは心の重要性に気づいていないようです。わたしたちの人生は心が創り上げていると言っても過言ではありません。ありのままの心で生きること。それは重大なことです。

ありのままの心から離れた時に良からぬことが起こります。それは「ありのままの心に戻りなさい」というわたしたちへのサインです。「べき」「ねばならない」に心を許した時にありのままの心を失って行きます。わたしたちがわたしたちでなくなって行きます。これは比喩的な表現ではありません。シンプルな事実です。「わたしたちがわたしたちでなくなって行く」とはわたしたちが消滅して行くということです。消滅して行く過程で何が起きるのでしょう?わたしたちの人生を暗くする、思いつく限りのことが起こります。

 

悦びの感情を追求する

ありのままの心をどうやって知るのでしょう?それは感情が教えてくれます。

穏やかさの中にある気持ちの高まり、悦び、抵抗感のない状態、やりたいことをやる時の気持ちです。そこにありのままの心があります。そこにありのままの自分がいます。些細なことでも構いません。気持ちが向くこと。一番やりたいことではなくても、我を忘れて没頭できること。なぜかあまり労せずにできること。それをしていて悪い気がしないこと。何よりも優先してそれを追求して下さい。何をするかではなく、感情、気持ちを追求して下さい。今までやりたかったことでも気持ちが変わったのなら、感情、気持ちを追求して別のことをして下さい。「飽き性はダメなことだ」とは思わないで下さい。わたしたちは目に映らないこと、科学的根拠のないこと、常識では測れないことを甘く見ています。自分の心を後回しにします。他人に気配りをするように自分の心に気配りをして下さい。自分の心と体を自分だけのものだとは思わないで下さい。わたしたちは意外に自分の心を知りません。何に心が悦ぶのか自覚できていません。他人に贈り物をする時に相手が何に喜ぶのか、わたしたちは慎重になって考えます。他人と接するように自分の心と接して下さい。「これはどうだ?これは気に入るか?」と自分の心に聞いて下さい。

わたしたちには「べきこと」「ねばならないこと」、義務があります。それは社会人としての振る舞いに関することです。振る舞いには振る舞いの大切な仕事があります。それとは別に心には心の大切な仕事があります。心の仕事はありのままの心でいることです。社会生活を送りながらありのままの心でいることは、難しいと感じるかもしれません。可能なところから始めて、ありのままの心でいられる割合を増やして下さい。始めは気持ちが少し穏やかになった程度で変化が見られません。それでも続けているうちに状況は好転します。ありのままの心で生きることが気休めや甘え、現実逃避ではないことに気づきます。それは大きな気づきです。