事実の力 実在する力 

心の苦しみから抜け出してわたしを生きる    Taro

3章 唯一無二のわたしを生きる3

3行動と現実の関係

 

願望実現

今の心の状態がこれからやって来る現実に反映されます。具体的な現実、例えば思い描いた人や状況を意図してもたらすことはなかなかできません。それでは望みを叶えることはできないのでしょうか?望むものはまず求めなければ得られません。望むものが本心からの思いであれば現実化します。ただ望むだけではなかなか現実化しません。本心からの思いを行動に移すことで現実化は速まります。

 

最大限に尽くす時に物事は達成に向かう

最大限に尽くす時に物事は達成されます。その最大限には閃き、熟考、行動、できることのすべてが含まれます。今日も世界中の人々が仕事をします。それは一番難しい類の仕事です。なぜなら今日が進化するこの世界の一番先端にあるからです。経験したことのない仕事をします。望んで仕事をする人たちもいれば、望まない仕事をする人たちもいます。いずれにしても仕事は簡単ではありません。人々はベストを尽くします。仕事を前にして寝ていては何も進みません。ふざけてやっていても進みません。最大限に尽くす時に仕事は終わりに向かいます。途中でトラブルやアクシデントが続いても、最大限に尽くす時にどこかで収束します。世界中の人々がそれを証明しています。世界中の人々は今日も一番難しい仕事に向かいます。そして今日も一番難しい仕事を終えて帰ります。わたしはいつまで経っても帰られない人を見たことがありません。

 

世界はわたしに反応する

振り返って気づくことがあります。わたしの人生が大きく変化した時には共通点があります。それは行動した時です。誰かに思いを伝えることも行動です。思いを行動に移す時に人生は展開します。動き出すのはわたしだけではありません。現実世界も動き出します。本心から望んだことを達成しようとわたしが最大限に尽くします。すると現実世界も望みの現実化に向けて展開します。世界はわたしの状態に反応します。わたしの信念、感情、思考、行動に反応します。わたしの行動というサインが世界に伝わります。その時に世界は展開します。その展開はわたしの意図を越えています。わたしはどこにどうやって運ばれているのか、分かっていません。どこかに運ばれているという自覚さえもありません。展開の仕方は読めません。理解できません。それでもわたしが到着する最終地点はわたしが本心から望んだ場所です。「そう言えば望みが叶っている」と後になって思えるほど、わたしの自覚を越えています。寧ろ望んだことを忘れているくらいの方が現実化は進みます。「まだ現れないのか」と執着するほど現実化は遅れます。

 

現実化の過程で

本心からの望みが現実化する過程で、望まないことや気の進まないことが起こります。その場合はどうすればいいのでしょう?望まないことや気の進まないことに取り組むとしても、“凌ぐ”やり方はよくありません。我慢して切り抜けるやり方は苦しみを生みます。その苦しみがまたこれからやって来る現実に反映されてしまいます。望みが現実化する過程で現れる望まないことや気の進まないこと。それらは望みが現実化するために必要なことです。「望まない」や「気の進まない」はわたしたちの判断や解釈、わたしたちの負の感情に過ぎません。望まないことや気の進まないことが現れても、「これは望みの現実化に必要なことである。望みの現実化は進んでいる。これでいい」と思って引き受けます。引き受けなければならない訳ではありません、引き受けようと思った時に引き受けます。そうすれば安心して現れた現実に没頭することができます。そうすることで望まないことや気の進まないことと同時に現れた負の感情も小さくなって行きます。

 

今やる 今なる

わたしたちは一気に、思い通りにやろうとします。

わたしたちは実在しないものを見ます。実在しないものを想像通りに実在すると考えます。それはわたしたちに起きる思考の癖かもしれません。わたしたちは「たら」と言います。「たら」がその表れです。「時間ができたら、お金ができたら、仕事が片付いたら、実力が付いたら、自信が付いたら、目処が立ったら」。わたしは自分が動き出すよりも先に自分や状況が変わるのを待ちます。自分の思うような自分や状況になってからやろうとします。

「たら」と言う時は比較的困難な時です。なぜなら不足している状態だからです。困難な状態から現実を変えるのは大変です。それでも変えるには実在する世界から、つまり今この瞬間からしか変えることはできません。今この瞬間に変わったことがどんなに小さなことでも、未来の今になります。完全でなくても構いません。後回しにせずに今やることが大切です。

わたしたちの負の感情や思考は当てにならないところがあります。「あれをするにはこれくらいかかる」「今更もう遅い」「策は尽きた。八方塞だ。もうダメだ」。わたしはこれらの感情と思考を事あるごとに体験します。それでも振り返れば事は過ぎています。現実はわたしのすることを越えています。「あれをするにはこれくらいかかる」「今更もう遅い」「策は尽きた。八方塞だ。もうダメだ」。わたしはそう思っていたことさえも忘れています。なりたい自分がいるなら、それが本心からの思いなら、自分の負の感情や思考を当てにはせず、なれる範囲のなりたい自分に今なることが大切です。今この瞬間になったなりたい自分、その分だけ未来の自分はなりたい自分になっています。

 

思い通りでなくても構わない 分析すること 計画すること

「思い通りでなくても構わない」と思えることは重要です。現実はわたしたちの思い通りには行きません。それでもわたしたちは生かされ、守られ、成長します。唯一無二のわたしたちとして存在します。わたしたちはわたしたちの思いを越えて生きています。わたしたちを生かし、存在させているものに比べれば、わたしたちの負の感情も思考も当てにはなりません。

それでは分析も計画もせずに、何も考えずに生きればいいのでしょうか?極論はするほどの価値がありません。分析も計画も大切です。最大限に尽くす時に物事は達成に向かいます。その最大限にはわたしたちの分析も計画も含みます。わたしたちが何かを達成する時に考えや計画は必要です。それよりも重要なことは「考えた通りでなくても構わない。計画倒れでも構わない。思い通りでなくても構わない」ということです。「思い通りに行かなかった。うまく行かなかった」と解釈して止めてしまってはそこで終わりです。わたしたちの判断、解釈、考えは当てになりません。現実はわたしたちの思い通りを越えています。思い通りではなくても現実化のためにはやり続ける必要があります。現実化に向けての展開はわたしたちには分からなくても始まり、進んでいます。

 

わたしを越える

自我には思い通りにしたい性質があります。自我と同化したわたしたちは思い通りにしようとします。思い通りでなければ気が済みません。それでも現実はわたしたちの思いを越えています。その時に「わたしの思い通りではない」と苛立ったり、やる気をなくしてしまったり、「本当に望みの現実化は進んでいるのか?」と疑いの気持ちに囚われていては、またその負の感情を抱かなければならないような現実が現れます。本心からの望みの現実化には「思い通りでなくても構わない」と思えるかどうかが重要です。

「思い通りでなくても恵みを感じる。思い通りでなくても感謝できることがある。思い通りでなくても体を持っている。思い通りでなくても心を持っている。思い通りでなくても意識を持っている。思い通りでなくても生きている。存在するにはあまりにも過酷な宇宙になぜか存在している。思い通りでなくても何となく嬉しい。思い通りでなくても何となく楽しい。思い通りでなくても何となく幸せを感じる」。そう思えるかどうかが重要です。

「思い通りでなくても構わない」というのはわたしを当てにするのではなく、わたしの思いを越えてわたしを生かし、成長させ、わたしを唯一無二のわたしにしているものを当てにして、委ねるということです。それはわたしがわたしでありながら、「わたしを越える」ということかもしれません。

 

記録する

本心からの望みが現実化する過程で望まない現実が現れた時に、「この現実は過去のわたしの心の状態が反映されたものである」。そう自覚できるかどうかも大切な点です。そのためには記録することをお勧めします。例えば「今日は負の感情に囚われ過ぎずに割と穏やかな気持ちで過ごせた」と記録します。そうすれば現実と過去の自分の心の状態の関係性を客観視することができます。そして必要以上に望まない現実と格闘せずに済みます。