神様へのお供物

わたしの経験があなたにも当てはまるなら

サイクル

テレビで凄い映像を見た

自然のサイクルを見た

農夫がトラクターで雑草を刈っている

作物の栄養を、雑草に取られないようにしているのだろう

トラクターは雑草を根元から刈って行く

刈られた雑草が倒れている

倒れた雑草の下

何と、新芽が準備している!

 

新芽が刈られることはない

新芽の高さは守られている

雑草は刈られることを知っている

どのくらいの高さで刈られるのか

いつ刈られるのか

ヒトに、どんな道具で刈られるのかを知っている

そうでなければ、新芽は育っていない

次に備えることはできていない

 

ヒトは自然のサイクルを絶賛する

それはどこか他人事に聞こえる

「自然は素晴らしい」と言う時

自分を切り離している

自分という言葉そのものが、自らを分けている

切り離してなど、存在できるわけがないものから、切り離している

 

わたしは今更ながら感動した

ヒトもサイクルの内側にしかいられない

どれほど文明が進んでも

ハイテクになっても

自然の外側にはいられない

あの農夫もトラクターもサイクルの一部

 

雑草に意識があるのだろうか

あの雑草を育てた、土や雨や太陽や養分に意識があるのだろうか

あの新芽を育てている、すべてのものに意識があるのだろうか

しかも未来を見通せる能力があるのだろうか

何もなかったとしたら

あの日、あのタイミングで、あの場所に

新芽を準備することなど、できないのだから

 

それとも、あの農夫やトラクターや雑草

土や雨や太陽や養分

それらを生み出す仕組みや関わりのあるすべて

それらはユニットになっていて

過去も未来も超えて

すでにどうなるか、決まっているのだろうか

ありとあらゆるものの背後に何かあるのだろうか

背後にあるものが

サイクルの内側にいるものたちの自覚を超えて

意図を超えて、意識を超えて、生きているのだろうか