事実の力 実在する力 

心の苦しみから抜け出してわたしを生きる    Taro

心の苦しみとどう付き合うか

はじめに 

 

あなたは何かに苦しんでいますか

心の苦しみは減らすことができるかもしれません

心の苦しみの原因は外側にはありません

わたしたち自身の内側にあります

 

人は誰しも何かを信じているものです

わたしは事実を、実在する物事を信じます

事実と実在する物事には心の苦しみを解決する力があります

あなたはどうでしょう

あなたが事実ではない、実在しない物事

乱暴な言い方をすれば

あなたが幻を信じるなら

わたしの話はあまり役には立たないかもしれません

あなたは事実や実在する物事を選びますか

それとも幻を選びますか

あなたはどちらでしょう

1心の苦しみ 

心の苦しみにはどんなものがあるでしょう

怒り、悲しみ、不安や恐れ、後悔があります

焦りや何ともやる気が出ない気の重さ

怠惰もその一つかもしれません

わたしを苦しめるという意味では

それらを負の感情と呼んでもいいかもしれません

 

怒りの中には小さな苛立ちや激昂があります

それが起きる過程や原因は様々です

自分のやることが思い通りに行かない

他人の言動が思い通りにならない

些細なことに対して怒ることもあれば

暴力や命にかかわるようなことに対して

不正や理不尽に対して

他人の身に起こったことに対して

集団的なこと、全体的なことに対して怒ることもあります

今起こった出来事に対して怒ることもあれば

過去の出来事を思い出して怒ることもあります

悲しみの中にも自分に価値を見出せない無価値感や惨めな気持ち

何かを失ったことによる喪失感があります

 

負の感情は互いに関係し合うこともあります

自分に対する無価値感や惨めな思いが怒りに変わって

自分や他人に向けられることがあります

恐れが焦りや苛立ちに

後悔が気の重さや惨めな気持ちに繋がることもあります

 

そこで行われていることは過程や原因、形に違いがあっても

わたしを苦しめるということです

わたしを苦しめているのは誰でしょう

他人でしょうか、状況でしょうか

それはわたしです

わたしの中にある自我です

 

心の苦しみの過程や原因、形はあまり問題ではありません

わたしの心が苦しいかどうか

それを知ることが重要です

わたしの心が苦しいのであれば

わたしの中で自我が仕事をしているということです

2わたしとワタシ 

わたしにはわたしという自己認識、自我があります

自我には単なる自己認識を越えた特有の性質があります

それはわたしを苦しめるということです

わたしを苦しめることで自我は大きくなろうとします

「自我特有の性質がわたしを苦しめる」

「自我が大きくなる」

この言い回しは少し奇妙に感じるかもしれません

わたしの中にわたしを苦しめるものがいます

そしてそれはわたしを苦しめることでわたしの中で大きくなります

しかもそれはわたしの基礎を成す自我です

 

わたしと自我は別のものでしょうか

自我には二つの自我があるのでしょうか

明確に分けることはできないかもしれません

それでもわたしは敢えて二つの自我に分けます

わたしは単なる自己認識としての自我を「わたし」と呼びます

単なる自己認識を越えた、ある特有の性質を持った自我を「ワタシ」と呼びます

 

ヒトは2、3歳頃から自我が芽生えると言います

それからは自己認識を持って生きることになります

自我が芽生えてから自我からの目覚めを経験するまでの間

わたしはワタシを生きます

わたし=ワタシの状態です

だからわたしはワタシという自我に苦しめられていることに気づけません

3自我からの目覚め 

「自我が薄くなる」

こういう言葉を聞いたことがあるかもしれません

自我が薄くなるとはどういうことでしょう

わたしという自己認識が薄くなる訳ではありません

わたしという単なる自己認識を越えた

自我特有の性質が薄くなるということです

                                                              

自我からの目覚めとはどういうことでしょう

それはわたしという単なる自己認識を越えた

自我特有の性質に気づくということです

わたしは自己認識を持ちながらも

今まで自分と思っていたものだけが自分ではないことに気づくようになります

わたしは今まで自分と思って来たものに苦しめられ

自分を乗っ取られて生きて来たことに気づきます

それが自我からの目覚めです

 

自我から目覚めたわたしは単なる自己認識としての自我を持ちながらも

自我特有の性質に同化したり、同調したりしなくなります

わたしはわたしでありながらわたしの中にある

特有の性質を持ったワタシと適度に距離を取るようになります

4もたらすワタシ 引き受けるわたし  

単なる自己認識を越えた自我には特有の性質があります

それはわたしを苦しめるということです

特有の性質を持ったワタシはどこまでも大きくなります

どこまでもわたしを苦しめます

ワタシのもたらす負の感情になすがままにしていると

わたしは負の感情に同調しやすくなります

最終的には負の感情と一体化したようになってしまいます

ワタシのもたらす負の感情は様々です

わたしはその様々なマイナス傾向を示すようになります

怒りっぽくなります、心配性になります

この世界には楽しいことや美しいものが沢山あります

恩恵を受けています、感謝できることが沢山あります

それでもそういう物事には目もくれません

四六時中不平不満を言ったり、ぼやいたり

愚痴を言ったり、嘆いたりして過ごします

過去のことや失った物事に執着してクヨクヨとします

体の具合が悪い訳ではありません

それでもわたしは険しい顔ばかりして過ごすようになります

リラックスをしたり、笑みを浮かべたりすることはあまりありません

縮こまったように緊張した状態で過ごします

それらがわたしの性格や人格の一部になってしまうくらいです

わたしは乗っ取られてしまいます

ワタシがわたし自身になってしまいます

わたしは自覚のないまま苦しみを味わいます

わたしは不幸になってしまいます

 

ワタシと同化したわたしは

ワタシのもたらす負の感情に無抵抗のまま囚われます

例えばワタシがもたらす苦しみの中には怒りがあります

怒りに同調したわたしは怒りに取り憑かれたようになります

わたしは物を破壊し、自分を傷つけます

他人に危害を加え、人間関係を崩壊させます

「わたしは自分が自分にとっても、周りの人たちにとっても悪いことをしている」

「わたしは自分をダメにしている」という自覚があります

それでも、「どうなっても構わない」と自分を虐げます

初めのうちは歯止めが利いても

ワタシのもたらす負の感情になすがままでいると事態はより深刻になります

ますます暴力的になります

心を病んでしまう場合もあるかもしれません

最悪の場合、自分や他人の人生を破滅させることもあります

 

ワタシと同化したわたしはその原因がワタシにあるとは思えません

わたし自身に問題があるのではないかと考えます

わたしの生まれ持った性格や人格、過去の失敗やつまずきが原因なのではないか

わたしの置かれた環境や周囲の人たちに原因があるのではないかと考えます

わたしの周囲にいる人たちも同じように考えます

「あの子は優しいところもあるのにどうしてだろう」

「わたしたちに問題があるのではないだろうか」

「愛情が不足していたのだろうか」と考えます

原因はそれらにあるかもしれません

それらにはないかもしれません

ワタシと同化したわたしはストレスを発散しようとしたり

環境を変えようとしたり、怒りを抑える試みをしたりします

それで問題が解決する場合があるかもしれません

それでも根本的な解決には至らない場合もあります

 

「わたしの心の苦しみの原因はわたしとは別のものにある」

「それはわたしの中にある自我特有の性質を持ったものである」

そのことを自覚するまで、解決するのは難しいかもしれません

怒り、悲しみ、不安、恐れ、後悔

わたしに負の感情をもたらすのは誰でしょう

他人でしょうか、状況でしょうか、わたしでしょうか

負の感情は突発的に現れます

例えば瞬間的に苛立つことがあります

それでもあまり長続きはしないはずです

負の感情に囚われ続けるのはなぜでしょう

負の感情にわたしを繋ぎ止めるのは誰でしょう

それはわたしを苦しめる性質を持ったワタシです

それと同時に負の感情を引き受けているわたしもそこにいます

わたしの中には負の感情に引きつけられやすいわたしもいます

だからわたしはワタシと同化しやすいのかもしれません

 

わたしとワタシは本当に同化しているのでしょうか

ワタシが負の感情をわたしにもたらします

わたしは負の感情を引き受けます

そこに僅かな“切れ目”があります

「負の感情がわたしに現れている」

そのことに気がつけるわたしもいます

「わたしに負の感情が現れている」という気づき

「現れた負の感情に同調しやすいわたしがいる」という気づき

その気づきがわたしとワタシの結びつきを弱くしてくれます

5わたしと心の苦しみを切り離す  

心の苦しみには色々あります

それが起きる過程も様々です

重要なことは心が苦しいかどうか

それを知ることです

わたしは幸いにも苦しみを感じる心を持っています

心が苦しいと言っているなら

そこにわたしの単なる自己認識を越えた

わたしを苦しめる自我が現れているということです

わたしを苦しめる自我を「ワタシ」と呼べば

わたしに対してワタシが苦しみをもたらしているということです

 

これは乱暴な言い方かもしれません

それでもわたしと心の苦しみを意識的に切り離してはどうでしょう

わたしの心が苦しい時

「あぁ、わたしを苦しめるワタシが現れているな」と考えてはどうでしょう

そうすることでわたしはワタシのもたらす苦しみに捕らわれても

耽ることはなくなります

それと同時に心が苦しいと感じていたわたしと

別のわたしがいることも自覚できるようになります

そのわたしが存在としての単なる自己認識を持ったわたしです

6存在としてのわたし 

存在としての単なる自己認識を持ったわたしとは何でしょう

わたしはわたしの心や体、意識の仕組みが分かりません

わたしは今どうやって生きているのか

今までどうやって生きて来たのか

わたしはそれらを詳細に説明することができません

全くと言っていいくらい理解できていません

把握できていません、コントロールできていません

考えれば考える程、分からなくなります

わたしは生きようとして生きている訳ではありません

わたしはなぜか生きているのです

わたしはわたしの思いとは別に、わたしの思いを遥かに越えて生きています

他人事のように聞こえるかもしれません

わたしは無知で無責任かもしれません

それでもわたしは自分の理解、意図、自覚を遥かに越えて生きています

それが事実です

存在としての単なる自己認識を持ったわたしは

わたしの思いを遥かに越えて生きている、存在しているわたしです